地方議会で、市長答弁はいかにあるべきか

 最近、市議会の一般質問で市長の答弁を求めても、梅田市長が答弁に立ちたがらないケースが多くなっている。
 6月市議会でも、私の一般質問6項目の内、1項目の同性パートナーの住民票の「続き柄」の記載方法、2項目目の学校施設改修予算の確保、6項目目の人権行政について、市長の答弁を求めていた。
 いずれも市長が‌行訴最高責任者として、政治的判断が必要な事項であるから、質問通告書に「市長の答弁を求める」と書いておいたのだが、それでも、部長の事務的答弁でお茶を濁そうとする。
 答弁の最中に、「市長が答弁してください」と声を上げても、市長は「誰が答弁しても同じだ」と言って部長任せにし、自分は答弁に立とうとしない。
 再質問、再再質問と重ねていって、結局は市長に答弁させているのだが、政治的・政策的判断なのに、なぜ最初から市長が立とうとしないのか。
 以前に、梅田市長が、みずから行うべき答弁を部長にさせるのを「原稿を読み手が変わるだけだ」と言ってのけて、私が動議を出して謝罪させたことがあった。
 それでも、市長は今でも「市長答弁も部長答弁も、原稿はどうせ課長が書いたのを読むだけだから、誰が読んでも同じだ」と本気で思っているのだろうか。
 政治家として自分の言葉で答弁しようなどという意志はないのだろうか。

 中島正郎氏の「地方議会 答弁ハンドブック」という本に、こんな文章がある。
 私はけして権威主義者ではないが、地方議会運営の神様的存在である、中島正郎先生が、これだけ市長の答弁責任を明確にしている。
 いちおうの議会での指針にはなるだろう。

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 3 政治課題にはトップが当たれ
 一般事務的な質疑、質問に対しては、首長がわざわざ答えるまでもない。むしろ、所管の事務ならば、担当者が詳しいので、まずこの者の答弁が、能率的である。
 しかし、政治問題化したものや、将来にわたる課題や展望又は方針のことや責任問題になると、補助職員の分野ではないので、トップが答弁するべきである。
 中には、政治課題について、首長にボールの直撃を怖れる余り、補助職員が一生懸命に防戦につとめて、首長への風当たりをなくそうとする殊勝な場面もあるが、議員としては、そんなことでは納まるものではない。首長の態度、方針を求めているのであるから、最高責任者が答えることによって、質ねた議員も納得するのである。最高責任者が、部下職員の書いたものを読んだり、それが部下の答弁と同一であったとしても責任の度合いが違うので、解り易いことと、それに、議員と首長とは決して対等ではないが、常に一対一ぐらいの気持ちを持っているのが議員であるので、議場で対等にモノが言えたことによって、内容の明確、不明確かは二の次にして、首長から受けた答弁で了解すると言っているのである。

4 事務には事務屋が答弁を
 前の政治課題や将来の展望、責任問題について、どんなに詳しい知識や学識を持っている職員がいても、補助職員にしかすぎない。議員は沽券に関わるので、首長が答弁すれば的を得ていようと少々はずれていようともそれなりに納まるものだ。政治問題に関わらないごく通常の事務上の質疑、質問ならば、政治の分野にわたらない限り、補助職員がするのがよい。議員もある程度区分して攻めるべきだろう。
 というのは、法律上のこと、技術的なこと、係数上のことなら、職員こそ専門分野であるので、首長が答弁するのはムダである。
(省略)

6 責任はみずから負う
 議員の質問中にも、むずかしい発言があるし、平行線のものも少なくない。答弁者は議案の提出者であるし、あるいは、事務執行の担当者であるので、何でも知っていなければならないわけだが、新任者又は性格的に内向型の者もいるので、強い答弁者ばかりではない。
(略)
 答弁者は、自分の保身上、やった部下職員の責任にしないで、監督上の立場にあるのだから、自己の責任であることを貫かないと、部下は信頼しない。ましてや最高責任者なら、さらに自己の責任として宣明すべきである。議員側もそれ以上追及することはない。
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 この本はかなり砕けた文章であるが、当然と言えば当然のことばかりである。
 久喜市議会の代表者会議で、この文章の抜粋を配ったのだが、議員の中に「こういう説もある」と言った議員がいた。
 議員で、中島先生のことを知らないらしい人がいたことにびっくりした。
 中島正郎先生は、「詳解議員提要」の著者であって、この書は地方議会運営の教科書とでも言うべきものである。
 議員で中島先生のことを知らない人はいないだろうと思っていたのだが、最近の議員は「詳解議員提要」を読まない人がいるのだろうか。

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